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大学レポート「靖国神社を論じろ」

駄文注意。レポートタイトルは仮定と身バレ対策です 

 

 

自分が住んでいる日本はこれまで、74年前の第二次世界大戦から今に至るまで戦争になりそうな事や日本が戦争に巻き込まれそうな事が幾ばくかはあったが、2019年の今も日本が外国を相手に戦争をした事はなかった。しかし日本の過去の歴史を振り返れば、元寇文禄・慶長の役など、いくつかの海外との戦争があった。明治時代以降は日清戦争然り、日露戦争然り、日中戦争然り、日本が敗戦した第2次世界大戦然り、様々に戦争に参加した。

その中で自分が一番興味を持っている戦争は有名な零式艦上戦闘機、陸軍集大成の四式戦闘機「疾風」に紫電改、二式単座戦闘機「鍾馗」に戦艦大和などの今も語り継がれる程の有名な兵器が登場した第二次世界大戦の頃である。

今回のレポートの題材で自分が取り上げたのは東京都千代田区九段下にある靖国神社だ。

この靖国は神社日本の首相が参拝するだけで中国・韓国からクレームが来る神社である。

 靖国神社の歴史の始まりは平和が200年近くも続いた江戸時代の幕末、長州藩1863年に結成された奇兵隊士の霊を弔いと祀るための墓を作るために、奇兵隊の発案者である高杉晋作が国のために死んだ死者を奉祀した各地の神社である招魂社を建てる事を発議し、その後に靖国神社へと改称されたのが靖国神社の始まりと名前の由来とされている。その5年後の1868年の戊辰戦争後に、官軍将校の招魂祭(現在で言う慰霊祭)を江戸城にて行った。

そしてその戊辰戦争が終わった1年後の明治2年(1869年)6月29日には日本陸軍創始者であり、長州征伐と戊辰戦争で活躍した大村益次郎が当時の天皇である明治天皇に東京に招魂社(今で言う靖国神社)を創建することを献策した。明治天皇によって建てられた「東京招魂社」にはじまり、そして1879年に「東京招魂社」は「靖国神社」と改称され。そして令和になった今でもその呼び名で日本人に呼ばれ続けている。二次大戦後は、日本を占領したGHQの命令により、靖国神社国家神道から一般宗教法人の単立宗教法人となった。靖国神社は日本の国家神道の代表的とも言える神社である。

この靖国神社は東京都千代田区九段北にある神社である。靖国神社に祀っているのは江戸時代の幕末から明治維新にかけて功績のあった志士に、明治から昭和までの日本の軍人・軍属等を主として祀っている。祀っている数は246万6千余柱となっている。隣には零戦・彗星・97式中戦車などの日本の戦争で使われた兵器が展示されている遊就館が存在してある。

 自分は二、三回しかこの靖国神社には訪れた事が無いが、初めて訪れる前には正直「零戦と彗星に97式中戦車が展示されているから是非見に行きたい」という恥ずかしながら展示されている兵器の事しか考えていなかった。

しかし、実際に靖国神社に訪れてみた結果自分の考えが180度変わるくらいの衝撃を受けた。特に衝撃を受けたのは戦争で戦死した英霊の遺書と遺品である。遺書を見てからは零戦や彗星などの展示されている日本軍の兵器の事はあまり頭に入らず。自分は兵器よりも日本の戦争と特攻で死んでしまった日本人の事を考えていた。考えているうちに悲しくてたまらない気持ちになった。もしもあの戦争で死んだ日本人が生きていれば、どんな人生を送り、どんな日本になっていたのだろうか?と考えていた。

 戦時中ではあまり出来なかった学業と遊びが今の時代にできることが、いかに幸せであるかを自分はとても強く感じている。戦時中の日本にいた誰もが心の中で「死にたくない」と思っていただろう。戦争と特攻で死亡した英霊達の写真を見ていると「これからの日本を頼むぞ!」と自身に向かって言われているような気がしてならない。
 英霊たちが築きたかった誇りある国日本へと成長させ、一人の日本人として誇れるようになっていくべきだと強く感じた。