kameariryoの日記

広カエデ丼のブログ WTとか写真とかレポートとか

大学レポート「福沢諭吉・内村鑑三のどちらかを功利と道義の観点から論じなさい」

駄文注意 見たい人だけ見てね 

 

 

功利とは名を取るよりは得を取れという意味であり。要約をすれば本音としての功利である。

道義とはわかりやすく言えば物事を行うための建前という意味であり。建前としての道義である。

嘗て我が日本が78年前におこなった、大東亜戦争でも功利と道義という二つの言葉が使われていた。

大東亜戦争の道義としては『今まで欧米に虐げられてきたアジアの理想的な共栄圏を作る』であるが。その功利としては『大日本帝国の戦争遂行に必要な東南アジアの豊富な資源を確保して長期持久体制』を作る事だった。開戦初期で我が日本は東南アジアを占領したがその後が続かず、東南アジアの資源は米潜水艦の徹底的な通商破壊と海軍の通商護衛の無理解によって輸送船をことごとく撃沈され、日本に持って帰ることが出来なかった。

しかも道義とした『アジア解放』を掲げたのは戦争に陰りが見えてきた1943年頃である。結果としては我が大日本帝国が掲げていた功利は達成できなかったが、その後に東南アジア諸国が欧米諸国から独立していった歴史を見ると道義は達成出来たとは言える。

大東亜戦争の話はこれで終わるとして、後期木曜四限の日本近代のもたらしたものでは最初に述べられた功利と道義と言うのを学び。昭和に入る前にかつて日本に存在した思想家の事について学んだ。今回自分が功利と同義について論じるのは福沢諭吉である。

日本で一万円札を使う人にとっては必ずと言ってもいいほど見る顔であろう。自分も家族も見たことがある顔だ。

一般的に彼と言えば一万円札の表面に印刷されている事であろうが。他に有名だとされているのが脱亜論である。要約をすれば『我が日本は世界から遅れているどころか何時までも古い考えに固執している隣国の中国と朝鮮を見捨てて、進んでいる欧米の列強国の一員になろう』という思想だ。これと並行した言葉は『脱亜入欧』である。

これについては、特に今も揉めている尖閣諸島の問題と、韓国の徴用工裁判と韓国の駆逐艦自衛隊のP-1哨戒機にレーダー照射を行い、今も問題を引きずっている事を見れば福沢諭吉の言っていた脱亜論とやらは正しかったと言えるだろう。

 さて、話は飛んでしまったが功利と道義の観点から福沢諭吉を論じていこうと思う。

彼は授業で述べられた通り、福沢は物事を功利でしか捉えていない。

福沢の晩年に足尾銅山鉱毒事件について福沢が経営する時事新報は『西洋列強に対抗できるための国家建設として致し方ない犠牲』と見解を述べ、被害者である農民達の怒りの嘆願を無視し、それどころか当時の政府に対し農民達の弾圧を要求した。

中津藩下級藩士の生まれであり、『武士は食わねど高楊枝』という気概と、独立自尊の精神を持っている功利主義者の福沢にとっては日本という国家が発展するためには致し方ない犠牲という事である。

この足尾銅山鉱毒事件の事からしても福沢諭吉という人物は基本的に功利のみしか物事を考えておらず道義というのは知ったことではない上に、弱者の気持ちを一遍たりとも理解しようともしない冷徹な人物であるという一面が読み取れる。

更に戦争について福沢は道義的に『やむを得ない事』と見解を述べているが同時に『人命を失うのは恐ろしい』と述べている。しかし彼は当時の中国を敵国と認定しており、1882年12月に書かれた『東洋の政略果して如何せん』では「もし日本が負けたら、中国の軍艦が東京湾に侵入してきて及び東京を無差別砲撃し、無数の中国兵が略奪の限りを尽くし老若男女問わず殺す」と書かれている。この12年後に日清戦争が起きたが福沢の言っていた事は見事に的中した。なぜなら清国軍に捕まった日本兵捕虜は殆どが凄惨の方法で殺されているからである。福沢は先見性のある人物であると同時に、日本という国家の発展と強国になる為なら多少の犠牲もやむを得ない人物とも言える。

福沢諭吉は基本的には功利を常に重視する人物であったが、道義を全く無視していたわけではなく「明治十年丁丑公論」では道義に殉ずる武士の主張を展開している。これは西南戦争の敗者である西郷隆盛の『賊軍』扱いに対する反論であり。「道徳品行」という点からすれば西郷隆盛の軍の方が「勇徳」が盛んであったと説いている。少なくとも福沢は功利を常に優先していたが最低限の道義は持ち合わせていたと言える。

福沢については、『代表的日本人』で有名である文学者の内村鑑三は『日本人の価値観に毒をばらまいた悪人』と酷評している。当時の若者にとって福沢は悪人であり内村はヒーローだと認定されていたようである。しかし、功利と道義の両方の観点から見れば内村鑑三福沢諭吉、どちらかが正しかったのかは今の中国と韓国の関係が証明していると言ってもいいであろう。